動揺のあまり迷子になったものの、弟に迎えに来てもらって、私はなんとか無事に実家にたどり着いた。
ダイニングで椅子に座って迎えてくれた父は、「実家の場所を忘れたんだって?」と軽口を叩いてくる。
が、背中と腰にはコルセットが巻かれていて痛々しい。
聞けば、まだ痛むのだという。
そして母は、リビングに置かれた介護ベッドの上にいた。
私を見ると「お帰り」と笑顔を見せて、
「大したことないんだけど、ちょっと立てんようになってしもて」と恥ずかしそうに笑った。
——いやいやいや、めちゃくちゃおおごとだから、すでに。
一緒に実家に帰る道すがら、弟から話を聞いていた。
始まりはその年の夏、父が家の中で転倒したことだった。
何かのはずみでよろめいた父は、荷物を持っていたせいで仰向けに倒れて、背中を強打した。
整形外科での診断結果は、胸椎圧迫骨折。
曲がった背中を元に戻す術はなく、コルセットで固定し、
骨が固まって痛みが取れるのを待つしかないのだという。
背中が曲がり、痛みで歩くのも辛い父を支えたのは、もちろん母だった。
母は車で整形外科への送り迎えをし、あれこれ面倒をみていたらしい。
それでも父の背中の痛みはひどく、ほとんど食欲がなくなってしまった。
弟は気まぐれで、もともと家で食事をとることが少ない。
ご飯を作るモチベーションを失ってしまった母は、自分だけが食べるのだからと、
簡単なインスタント食品で済ませるようになってしまったようだ。
いろいろなストレスも重なっていたのだろう。
そのうち母の皮膚にかゆみが出るようになってしまった。
近所の皮膚科を受診すると、総合病院を紹介されたという。
検査の結果は——極度の栄養失調。即入院が必要、とのことだった。
父は入院に反対したという。でも、押し切られた。
入院は2週間ほど。
けれど退院したその日、手続きが終わっても、母は椅子から立ち上がるのに時間がかかったそうだ。
その時点で、すでに足腰がずいぶん弱っていたのだろう。
自宅に戻って数日後の夜中、母はトイレで立ち上がれなくなってしまったのだという。
父も弟もどうすることもできず、救急車を呼んで、助けてもらったそうだ。
そしてまたその数日後、母が再びトイレで立ち上がれなくなった。
結局その時も、また救急車のお世話になってしまったという。
そしてその日から、母は全く立ち上がることができなくなり、寝たきりになってしまった。
それでもベッド上の母は、歩けないこと以外はいろいろ元気だった。
カラオケ同好会のお友達から携帯に電話が入ると
「そーなの、昨日までちょっと入院してて、え?来週?大丈夫、いつもの南口のとこに行くから」
なんてことを言っている。
——いやいやいや、どう見ても行けないでしょ?てか、退院したのは昨日じゃないし
「え?○○さんが倒れたの?大丈夫そうなの?えーっ!?入院して手術?まあまあまあ、お気の毒に」
——いやいやいや、他人を気の毒がってる場合か?こっちも充分お気の毒だから
その上、母の脚はよく動くらしく、ベッドの端からはみ出していた。
ベッドからずり落ちるといけないので、母の脚をベッドに戻す。
母は思ったより元気そうで、私は少し安心した。
いまさらだと思うけれど、この時私が「寝たきりになってしまう」ということの、
本当の深刻さに気づくことができていたとしたら、私はもっとちゃんと動けていただろうか。
例えば、老人保健施設のデイサービスやショートステイを利用して、歩くためのリハビリをすぐに始めていたら、
いまでも母は実家で過ごせていたんじゃないだろうか。
「施設に入りたくない」という母の希望を叶えるためにこそ、
早い段階で施設の力を借りるべきだった、と悔やまれてならない。
いまさらだと思うけれど。

